映画でも漫画でも、スポーツものって「動き」があるじゃないですか?
だから、その「動き」に違和感があるとものすごーく気になっちゃいますよね。
その動きに専門性がないと、どうしても「おままごと」に見えてしまう。
メジャーなスポーツであればあるほど、この傾向が強く、かなりの数の同種目タイトルがあると、そこへ参入していくのは本当に厳しい。
野球やサッカーはやはり多くて、もう新たな表現、新たな展開は望めないんじゃないか?と腕を組んでしまいます。どうしても、「何かで観た」という表現・展開になってしまいがち。
まあ、それでいくと、スポーツものに限らず、ネタ切れ感はどんなジャンルにもあるのですが。
創作は何かの焼き増しでも、味付けが違うならそれは全くの別物。そういう判断をします。時代が変われば観られる作品の時代も遷ろいでいきますからね。
だから同じジャンルでずーっと描かれていて、味つけを変え続け、毎度おもしろい作品を生み出される先生には本当〜に驚かされます。そして毎週楽しみで仕方ありません。
森高夕次先生の野球マンガには毎度心を震わされます。あゝやっぱり野球っていいな、と。
ここではあえて、森高先生と、漫画原作名義の方で言っていますが、おれはキャプテンなどのコージィ城倉先生名義では、漫画作画もされています。いやほんと、毎度異なる題材を野球のジャンルのなかで織り込んで下さるから、どの漫画も読んじゃうんですよねえ。
(もちろん先生は野球漫画以外も幅広く描かれているからこそだと思います)
経験したかどうかでいくなら、スポーツものの専門性は保たれるでしょうが、(もちろん描き続けていれば、「動き」にスムーズさが宿るとは思いますが)展開や表現の意外性はどうしてもやればやるほど枯渇していくもの。
だとしたら、先生のまんが道には、可能性が満ち満ちているのだと、あたしは思います。
ダメじゃない。容易に想像できる同ジャンルの最強タイトルに、食ってかかれるほどの作品を、生み出す「意地と根性」。それこそが原動力なのではないかと。
まさにスポ「根」ですね。