- はじめに
- 自由研究や自由工作というと、一夜漬けなんかで出来上がるわけがない
- 自由研究は、自分で何かを学びたいと思ったときに必要なものの要素が詰まっている。
- あたしも自由研究をやってみようと思う。これはその実体験記だ。よろしくどうぞ。
はじめに
そろそろ2024年夏の甲子園の覇者が決まろうとしている。
8月もお盆を過ぎると、夏休みは終盤。
学校によってはもう、2学期がスタートし始める頃だ。
そうなってくると、気になるのはお子さんの夏休みの宿題の進行状況ではなかろうか?
うちの地元では8月31日までが夏休みということだったので、8月20日にもなると、残り10日でラストスパート。これまで30日間遊び倒してきたツケがたまっているという人も多く、親御さんは三日坊主で書く手が完全に止まったままの絵日記に絶望したり、テキストや問題集のおどろきの白さにめまいを覚えたり、テーマすら決まっていない自由研究や自由工作に膝から崩れ落ちたり、各家庭で悲喜こもごもだったに違いない。
かく言う我が家も、宿題をこつこつやれない子どもだったので(あたしが)自由研究はほとんど親が決めたテーマでなんとか形にして提出した。それが小学6年間かかさず続いた。
自由研究や自由工作というと、一夜漬けなんかで出来上がるわけがない
と思っている方は多いかと思う。
とにかく、それっぽい出来映えに仕上げるだけでも、ひと晩でなんとかしてやろうというのは甘い考えにも程がある。
自由にやればいいのだが、研究してその成果を発表しようとなると、それなりにしっかりと模造紙に研究結果を記載して、どういう考えでその結果に至ったのか、までを練り込んでおく必要がある。発表用台本を書くほどではないが。
親から見るとハードル激高宿題の部類である自由研究。残り10日で、地域によっては明日にも真っ白な模造紙を埋めて研究したことを示せなんざ、通常の4倍くらいの残業代をもらえたとしても白目を剥きかねない課題である。自分の親にはいまでも頭が上がらない。ほんまごめん。
しかし「もういい!自由研究はお父さんに(お母さん)にまかせろ!」と死亡フラグまがいの台詞を吐き、「いいからおまえはその真っ白な絵日記をでっち上げろ!」と沸騰しているご家庭のなんと多いことか。あたしが子どもの頃はこんな家庭ばかりだった。
ただ最近では、
自由研究や自由工作、ましてや夏休みの宿題というものがほとんどない学校もある
ということは聞いた。
うちの子はまだ未就学児で入学が差し迫っていないので、そういう情報がまだ詳細に入ってくることはないが、教師の負担軽減や自主的な学習のクセ付けなど様々な理由があるのだろう。おお、令和だ。と感心した。
しかしまだまだ自由研究で悩まされている親御さんもいるだろうし、子どもたちも自主的に自由研究をしてみたいが、どうやればいいのかわからない、効率的にやるにはどうするべきか?という方に向けての記事になればと筆をとる。
というかあたしは割りと自由研究が好きだと、近頃気づいたので、実際に自分でもやってみながら、「あたしはこういう風にやってみたけど、こんなんでええんちゃう?」という実績を示したいと思う。
現在、宿題として自由研究がない子たちも、ぜひ夏休みの残りの時間、他の宿題が終わっていたら、自由研究を自主的にやってみて欲しい。
自由研究は、自分で何かを学びたいと思ったときに必要なものの要素が詰まっている。
学びたいもののテーマを決めて、なぜそれを学びたいか明確にして、仮説を立て、検証して、研究の結果を受けて自分がどう感じたか?何に活かせると思ったか?
そういう一連の流れを体系的に学ぶことができる。
この方法は、ただ「調べたいこと」を「インターネットで調べて」、「ああ、分かったなるほど」とスマホを置くだけの学習で得られない、やらされ教育ではない、自発的な学習を促すことが出来る。
当たり前に出来る人はいるだろうが、令和のデジタル世代の子たちは、そんなまだるっこしいことをしなくてもネットで調べれば良いじゃん、となってしまいがちで、その当たり前が出来ない子もいる。
しかし考えてほしい。
そのネットで出てきた記事も、誰かが自由研究をやってくれているのだと、理解してほしい。
親がやってくれるから自分ではやらなくていいんだ。結果さえ知れれば学んだ気になるから、それでいいんだ。いや全然良くない。
それでは脳が退化してしまうだけだ。あたしがそうだ。これではイカン!ということで、8月もあと10日くらい。
あたしも自由研究をやってみようと思う。これはその実体験記だ。よろしくどうぞ。
さて、そもそも、自由に研究すればいいとはどういうことか?
テーマは何でもいいので、先ほどの研究のための一連の流れを示してくれ。そういうことだ。
ここは難しく考えては、一向に研究が進まないので、出来映えをちゃんとするを目標にするのではなく、出来映えはどうでもいいので自分が納得するかどうかを目標にしよう。
それには「何を調べるか?」「調べる前の時点で、自分はどう考えるか?」「調べたらこうだった」という3段論法さえしっかりしていれば、模造紙に3行だけ書いて終わりでもいいのだ。
大事なのは、なぜ調べようと思ったのか?その動機と、仮説と実践でどれくらい差があったのか?それを受けての自分の気づきだ。
それらが研究者の胸の中に宿っていれば、それで成功なのである。あたしはそう思う。
きれいな文章や見映えのいい研究内容は本当に必要ないと思う。絵で示したって良い。口頭で説明できるならそれだって立派な研究成果だ。
伝わりゃいいんだ。
ちなみに自由工作はもっと自由だとあたしは思っていて、何なら牛乳パックを持って行って、「これは牛乳パックでアイスクリームを作ったときに使った調理機器だ」と言って提出したっていいと思う。アイスがおいしかった。感想はそれだけでも十分すぎるくらいだ。教師が頭の固いことを言うようなら、あたしが代わりに説明に言ったっていい。画一的な教育だけでこれからの令和の世は生きていけない。柔軟な発想が子どもをのびのび育てる。
話を自由研究に戻そう。研究をはじめるぞ、となったときには何か、まずテーマを決めねばならない。さて何にしようか、腕を組んだところでここから先は明日の記事で書いていくことにしよう。
まずは自由研究への抵抗感をなんとか払拭していただき、本当になんでもいいので、ふっと思い浮かんだ「日常の疑問」を書き出しておいてください。
明日はそれをテーマに、仮説まで立ててみましょう。
ではまた。