ぱえリヤは道具屋のひとり娘だ。
手塩にかけて育てたんだ。「どこに出してもはずかしくはないぞわはは」と、口が裂けるほど大口を広げて笑う父は、やはり本当にそのときが来たらすごくさみしがると思うし、誰にもみえないところで肩を落として泣くのだろう。
ぱえリヤも齢十八を数える。
今はまだ、お父さんががんばって立ち上げた道具屋をあたしが継ぐんだ!と息巻いている。
しかしきっと、娘にいい人があらわれたら、そのときには心を決めねばならんのだろうな
そう、父が朝から遠い目をしているのを知ってか知らずか。
その道具屋のひとり娘、ぱえリヤは朝の喧噪をいつもより晴れやかな気持ちで眺めた。
にわとりが鳴き、小鳥がさえずり、人々がつられて朝日を浴びに出てくる。その前に商人たちは手早く開店の準備をはじめる。
そのせかせかした朝ならではの町の様子が、ぱえリヤは好きだった。
今日は待ちに待った出立の日。
アリアハンのだれもがその日を待ちわび、だれもが一抹の不安を抱いていた。
何か思うところがあるのか、父もどことなくそわそわしている。かく言うぱえリヤもそうなのだが。
ぐっと重たい商品箱を抱え上げ、いつもの喧噪とはまた少し異なる町の様子に目を細めつつ、いつものように父へと声をかける。
おとーさーん、せいすい用の木箱、ここに置いておくねー!
ああ。ありがとう、リヤ。
ほら、こんなところで油を売ってないで、はやくアヴァちゃんの見送りにかけつけてやんなよ。
う、うん……。
(あたしは、あまり近寄りたくないんだよなあ)
店先で、父と娘がそんな会話をしていると、城から架け橋をわたってくる快活そうな少女が視線を寄こした。
おー、リヤ。まだるっこしい謁見だったよー。
ひらひらと手を振り、勝手知ったるおらが町を悠々と歩いてくる快活そうな少女。
その年の頃、16になったばかり。
今日は、過保護な親元を離れ、ひとり念願の魔王退治へと旅立つその日。
幼少の頃からご近所であるぱえリヤは、彼女がさっさとアリアハンを発ってくれることを願っていた。あとできれば出発の日には顔を合わせたくなかった。
よし、旅の準備金ももらったし、道具はそろえてくれてるんだろ?
とっとと出発しよう。田舎くさいこの町ともしばらくお別れだ。
ん、なんだいなんだい、そんな格好で?
早く着替えてきなよ、リヤ。待ってるからさ。
おじさん、しばらくリヤを借りるよ。
次から次へと相変わらずよく回る舌だ。
快活そうな少女は、肌にぴたりとくっつくインナーを身にまとい、華奢ながらも骨格と筋肉は太めである理想的な戦士体型をしている。ざんばらに立ち上がった黒髪と、ひたいに輝くはちがねが彼女の勇ましさをいっそう引き立てた。
声高ながら、芯のある声色で相対する者に、力強いオーラを感じさせる。
アリアハンの勇者、アヴァらぼねは、王様からの軍資金を片手に掲げた。これで旅の道具を見繕ってほしいという意思表示だ。
ここではいはい、とその金を受け取ってもいいものか、ぱえリヤは迷ってしまう。
いまから商いをはじめようかという出で立ちで気づいて欲しいものだが、ぱえリヤにはそんな意志はなかった。
だからこの金貨がつまった袋に手をつけてしまうと、今日まではぐらかし続けてきた問いに、イエスと答えてしまうようなものだ。そう考えると、ぱえリヤの体は硬直した。
父の前でもある。
父にはずっと、アリアハンに住み暮らすことをほのめかしてきたのだ。今さら、勇者の誘いを受けて旅立つわけにはいかない。
ちらりと父を伺うと、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。それはそうだ。こんなに早く手塩にかけた娘が、その手の届くところから去ってしまうとは、想像だにしていなかったろう。
いつまでも掲げた金を受け取ってもらえず、アヴァは、まあいいやと店のカウンターにどさと置いてすたすたと酒場の方へと足を向けた。
わたし、ルイーダさんのところに顔見せに行くよ。
ちょっと野暮用もできたし。
しばらくしたら戻ってくるから、あとよろしくね。
幼なじみであるぱえリヤといつも一緒だった仲の良い娘。オルテガさんのひとり娘。勇者であることを運命づけられたその娘も、思えば自分の娘のような気持ちで接していた。
勇者の使命を背負った重圧ははかりしれないだろう。そんな娘が、自分の愛娘と旅立つことを心に決めていたというのか。娘はその気持ちを知っていたのか。このあと、どうやって切り出されるのだろう。
自分はそのとき、どんな顔で一世一代の告白を聞いてやるべきなのだろう。この道具屋はどうするんだ。自分の代で畳む腹づもりでは、まだなかったのだが。
はらはらと、目をきょろきょろと、物言わずうつむく娘の姿をおそらくそんな気持ちで見つめているであろう父。何も言わないわけにはいかない。おとーさんごめん、あたし、前からアヴァちゃんに旅に同行するよう誘われ……勝手に同行することに決められていて、
おいおいおいリヤ! ちょっと来てよ! 町の入り口にめちゃくちゃ変なやつが倒れてるんだ!
父娘のセンチメンタルな雰囲気をぶち壊すように、酒場へ行ったはずの勇者がずかずかと戻ってきた。
ぐいと手を引かれ、強引に拉致されるぱえリヤ。
ああ、口惜しや。
かくして、アリアハンの道具屋は、次代の担い手を失ったのであった。
遠く離れていく娘の姿を眺めながら、「ああ、ぱえリヤ。きっと無事に帰ってきてよ。モンスターに食い殺されたなんて、地獄のような風の便りを聞く覚悟は、父さんには一切、できていないんだからな」という願いを込めた思念を送っていそうな父はやはり、あたしとの別れをさみしがっているだろうな、とぱえリヤは申し訳ない気持ちになった。
それとともに、生まれてこのかた、アヴァちゃんに手を引かれてばかりの人生だったな、と死ぬわけでもないのに走馬灯のように、思い出が星みたいに輝いては消えた。今日が、アリアハンで道具屋として過ごす最後の朝だとは思いもしなかったし、そんな覚悟もなかったな。
ぱえリヤは一気に脱力して、万力のように引きずられていくその身を、まるで家畜のようだ。と俯瞰し、この世の無常を儚んだ。
〈つづく〉