澁谷・東急本店がなくなる。
という話をこれまたオードリーのオールナイトニッポンで若林トークゾーンで聞いた。
調べたら、1月31日で営業終了とのこと。
若様の言っていたのは、丸善ジュンク堂書店のことだろう。
ジュンク堂と言えば、本当ばかデカい本屋で、地代家賃どうなってんの?と口をあんぐり見上げる『ビル一棟丸々本屋』で有名だ。
図書館より図書館な品揃えを目指す理念として掲げるくらいだ。1等地でなくターミナル駅からやや離れた1.5等地であっても、そこに行けば何でも揃う!という客をターゲットにしているらしい。
いや本当、この時代に立派な理念だ。
東急が取り上げられたが、そもそも路面の本屋がなくなっている。世の中からどんどん本屋が失われていっているのだ。
由々しき事態だ。
みなさんは紙の本を手にしたい、と思ったとき本屋に行きますよね?ネットショッピングよりも、どういう装丁か、紙質か、サイズはどうかとか気になり、実際に手に取ってみたい。と思うことは多々あるはずです。
そんなときに本を取り扱っている商店がない。
休日に、仕事帰りに、少し時間をつぶしたいな、という名目でふらりと立ち寄れた本屋がなくなるというのは、なんて寂しいことだろう。
それほどまでに若者の活字離れが進んだのか?
それほどまでにデジタル化の大波が押し寄せてきたのか?
時代の変化と言えば、聞こえはいいが、そこをその場所を心の拠り所にしている人も絶対にいる。
買い物目的でなくとも、その場所に行くことを目的としていた人たち。
くさくさした心を鎮めてくれる、本屋に限った話でもないが、「そういう場所」は誰でも心に持っているものだ。
ラジオでも言っていたが、MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店にノートとペンが置いてあり、誰でもご自由に書いていってくださいスペースがあったらしい。
そこに、その場所がなくなることへのコメントを、色んな人が思い思いに綴っていたそうだ。
それを見ると、しんみりした。鼻の奥がツンとしてきた。という人も多いだろう。そう感じる、そもそも寄せ書きを見に来る人たちは当然、そこを心の拠り所にしていたに違いないんだから。
今、紙の本を「買う」のは結構なぜいたくだ。
このサブスクサービスが横行した時代。流行り倒している時代。本は図書館で、ネットで、レンタルするのは当たり前。電子書籍もボーナスを駆使して購入するなど本のディスカウント化。
本を「定価で買おう」とする時代ではないのだ。
だからと言って、それに対応できないもの、場所から、サービスが消えていくというのは、本当に寂しい思いしかない。
ぺりさんも、本屋を心の拠り所にしていたクチだ。
それは、学生時代のとある放課後。
当時好きだった子に、何とか一緒に下校するまでこぎ着けたぺりめに少年。詰め襟が苦しい。息が詰まる。なんてことをつぶやきながら、「今日はうららかな陽気だったな」的な独り言なのか話しかけているのかわからない、内容のうっすい雑談とも言えない雑談だけして、その子の自宅そばまで歩いた。
結局、想いを告げることなく訪れた分かれ道で、あろうことか強がる少年は「あ、おれ、こっちだからさ。ちょっと気になってる新刊があるんだよね」と、『その先にある本屋に立ち寄るから同じ方向まで下校してきたんだよ決して告白するために一緒にここまで並んで歩いてたわけじゃ、な、ないんだからねッ』と、完全に必要のないツンデレ台詞を内包した発言をして自爆。なぜ素直になれないのか、少年よ。
当時のぺりさんもそんな自問自答を繰り返しながら独り、本屋に赴き、買うでもないマンガの束を眺めては、大声で泣きだしたい気持ちを心に押し込めて、ただぶらぶらとほとぼりが冷めるまで(自分の)回遊していた。本屋側からすれば迷惑な客この上なかったろうが、まあ、同じ想いを抱いて本屋に訪れるひともたまにはいるだろう。お目こぼしを頂いていたわけだ。
またある時は、都会に単身乗り込んできて、新卒採用をもらった会社へ勤務し始めた頃。当時は、研修のため寮生活でちょっと郊外から離れた場所で居を構えていた。
とはいえ、せまい寮部屋。風呂も共同のため、あれやこれと持ち込めないのは分かっていた。だから娯楽の類は一切を実家に置いてきてしまった。
パソコンもない、その頃はスマホもない。
マンガやゲームも置いてきた。しかし初任給は入る。そうなれば休日に狭苦しい部屋にいる必然性は皆無。
ただ、お酒付き合いを好ましくないと頑なに断っていた、斜にボーイ(社会を斜に構えて見ているボーイ)だったので、使うアテといったら最寄りの駅前にあるちぃこい本屋でしかなかった。
最寄りの駅と言っても、本当に住宅街に寮は位置していたので、栄えていない駅前に出ていくのでも、結構歩く。
そしてマンガを買い込んで帰ってくるので、両腕両足がパンパンになる。
昼食も本屋に行く前に「つけ麺屋さん」で食べてきた。
ちょっとのお菓子と飲料、そしてもう出かけたくなかったので夕飯のコンビニ弁当を手に、えいさほいさと日曜の春の日差しに目を細めつつ、寮部屋に戻る。
そこからはもう夢のような時間だ。
だが、気が付くと、夕方のサイレンが町中に響くまで本を読みふけってしまっていた。夕方のサイレンは物悲しい。明日が月曜日だからだ。
カーテンもないため、夕暮れに染まる床が、さらに物悲しさを加速させる。
当時、日曜の夕方5時台から放送していた「コードギアス反逆のルルーシュR2」。大好きなシリーズの続編ということで楽しみにしていたのにも関わらず、この時間に観ると気分は最悪で。正直、こんな時間帯に放送時間を設定したT〇Sを恨んだ。
もう日曜日が終わってしまった。
また明日、仕事を乗り切れたら、駅前の本屋に寄ろう。月曜日は週刊少年ジャンプの発売日だ。
それらすべては本屋だった。
ぺりさんも本屋に心を救われてきたひとりだ。
若様が言っていた。「こんなオレを受け入れてくれてありがとう」。
まさにぺりさんもそういう気持ちで、時代の変化によって発生する、便利さとむなしさを、ただ呆然と眺めるしかない。気持ち的には、夕陽で焼かれる床をただ、何とも言えない面持ちで眺めていた、あの日曜日に似ている。
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