ウー、ベイベー。
君との思い出は、ぼくのこころのなかにあるだぜー♪
ウー、ベイベー。
嗚呼ー、ホロナー。
君との思い出は、今も色褪せないアルバムのなかに、あるんだ、ぜー……♪
OK、センキュー!
グッバイ、ホロナ!
と、わたしは最後のお別れを彼女たちとしました。
ブログの記事にせず、ゲーム内でひっそりと思い出をこころに閉じ込めるように。
魔塔改修のあった、バージョン6.0の頃のことでしょうか。
別れを済ませたぶりに訪れた魔塔は、何もかもが様変わりしていた。
ぼくは勝手に魔闘士とかいう専用職業に乗り換えさせられて、孤独。
階をのぼる度に、謎を解き孤独。
たったひとりで頂上を目指すというルールに作りかえらえていた孤独。
圧倒的に孤独を感じていた。
階が進めば、ツボを押すと「にゅっ」と仲間モンスターが出てくる。にゅっと。ところてんのように。知らんけど。
区切りのいい階では、あんなににぎわっていた風景も、見る影もなく。閑散としたもの寂しさが立ち込めている。
ひと区切りついたな、と。つかの間のブレイクタイムだな、と思い腰を落ち着けていた休息の間。
冒険者たちの酒場よろしく、NPCがいてこそ、盛り上がっていたのだなと気づく。
魔塔という、魔力に満ちた、未知のダンジョンを攻略してやろうと集まっていた世界各地の腕利きたちは今、どこで何をやっているのだろう……。
もの悲しさにふけっていたあの頃から幾日も経ち、ついに明日、懐かしの顔ぶれが帰ってくるらしい。
一緒に冒険できなかったとしても、いい。
5階のぼる度に、命からがらたどり着いたぼくを癒やしてくれれば、それでいい。ありがとう。
しかしこの、ズタボロになりながら戦い続けるのって、しんどくもありますが、同時に心地よさを感じなくもないです。いやドMではないです。
ところてんのように、にゅっと出てくるモコモン(ファーラット)に期待したものの、デコイ(囮)になってくれるわけでもなく、応援だけされて去っていく。
孤独。
圧倒的な孤独。
トルネコの大冒険みたいで面白いんですがね。
旧魔塔もレベル1にリセットされるところがトルネコ感あったんですけどね。
報酬アイテムを集めるための作業感満載のミニゲームになり果てたので、足は遠ざかっていました。
オンラインゲームというエンディングのないドラクエの辛い所だなあと、寂しくもありましたが。楽しくもありました。
ゲームは辛ければ辛いほど、それをクリアした喜びは何にも代えがたいと思っています。ドMではありません。
それにつけても、強くなり切ったRPGで何度も遊ぶのってしんどくないですか?
ドラクエでもレベル99になったデータを引っ張り出してきて、何度もそのデータで遊ぼうとは思いません。
ボスを倒し終わったら、終了です。
いまのドラクエ10(というかスマホのやつも)ってそういうことが起きていて、冒険者たちが路頭に迷ってるんだと思うんですよね。
っていうかずいぶん前からそういう状態だったんですけども。
なんかだんだんとそういう風潮というか、見えていなかった部分が明るみになってきているというか。
やっぱりゲームは、ゲームソフトを本体に差し込み起動ボタンをガチャっとやるのが最高に幸せな瞬間だと思うんですよね。
媒体が変わっていっても、時代が未来になっても、ゲームをはじめる瞬間というのは楽しくて仕方がないのです。
装備も貧弱、資金もない。街の外は屈強な魔物たちがうようよ。もやしみたいな胸板で立ち向かっていかねばならない、ある種拷問のような絶望感を覚えます。
RPGのはじまりとはそういうものです。
はじめから強いRPGなんてRPGじゃありません。
あんなにひょろもやしだった「おれ」が、こんなに屈強な魔物を一撃で倒せるようになったんだ。すごいだろ!?という成長を感じられるのがRPGです。
まあストーリー上、強い状態からスタートするRPGもありますが、結局、周りが強くなっていってそれに打ち勝つために成長せねばなりませんね。それはRPGです。
だから、最推しに会えなくなっても、ぼくは魔塔の大改修を受け入れました。
がんばって魔塔にだけは、挑戦し続けています。
ろくにログインしなくても(新)魔塔だけはなんか楽しい。
モコモンも押したらにゅっと出てくるし。
ドラクエ10も、もういっそ、バージョン7.○シリーズは、女神ルティアナの目の届かないところで、肉体のくびきを解き放ち、魔闘士レベル1みたいな感じでスタートしたらいいんじゃないですかね?
新たな冒険が始まるって感じで、ある意味、新鮮な気持ちでカムバックさんも戻ってきやすいんじゃないですか?
ドラクエ10が迎えた10年。
これからの10年は、それくらい驚きに満ちた世界であって欲しいなと思います。
シダレ(最推し)がいなかったらわたしは、目安箱に、抗議の投函を何百通とぶち込んでやろうと思います。